正信偈大意(蓮如上人)
『正信偈大意』とは、親鸞聖人の『正信偈』を蓮如上人が大まかに解説された本です。
蓮如上人とは、浄土真宗の8代目で、親鸞聖人の教えを正確に、最も多くの方に伝えられた方です。
43歳で本願寺を継がれてから85歳でお亡くなりになるまでの短期間で、親鸞聖人の教えを日本全国津々浦々に伝えられ、現在の浄土真宗が日本最大の仏教の宗派になる基礎を築かれました。
その蓮如上人が46歳の時、金森(かねがもり)の道西から、正信偈の解説が欲しいという要望を受けます。
蓮如上人は、「いやいやとてもそんなことはできない」と辞退されたものの、繰り返し要望されるのでやむをえず、「つたないものではあるが、簡単に書き与えた」と奥書に記されています。
蓮如上人は、『正信偈』をどのように解説されたのでしょうか?
目次
正信偈大意
正信偈とは
そもそも、この『正信偈』というは、句のかず百二十、行のかず六十なり。
これは三朝高祖の解釈により、ほぼ一宗大綱の要義をのべましましけり。
正信偈の構成
この『偈』のはじめ「帰命」というより「無過斯」というにいたるまで、四十四句、二十二行なり。
これは『大経』のこころなり。
「印度」已下の四句は、総じて三朝の祖師、浄土の教をあらわすこころを標したまえり。
また「釈迦」というより『偈』のおわるまでは、これ七高祖の讃のこころなり。
題名の意味
問うていわく、『正信偈』というは、これはいずれの義ぞや。
こたえていわく、「正」というは、傍に対し、邪に対し、雑に対することばなり。
「信」というは、疑に対し、また行に対することばなり。
大無量寿経のこころ
阿弥陀如来
「帰命無量寿如来」というは、寿命の無量なる体なり、また唐土のことばなり。
阿弥陀如来に南無したてまつれというこころなり。
「南無不可思議光」というは、智慧の光明のその徳すぐれたまえるすがたなり。
「帰命無量寿如来」というは、すなわち南無阿弥陀仏の体なりとしらせ、南無阿弥陀仏と申すは、こころをもってもはかるべからず、ことばをもってもときのぶべからず、この二つの道理きわまりたるところを、「南無不可思議光」とはもうしたてまつるなり。
これを報身如来ともうすなり、これを尽十方無碍光如来となづけたてまつるなり。
「この如来を方便法身とはもうすなり。
方便と申すは、かたちあらわし御名をしめして、衆生にしらしめたまうを申すなり、すなわち阿弥陀仏なり。
この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり。
智慧またかたちなければ不可思議光仏ともうすなり。
この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏ともうす。
しかれば世親菩薩は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり」(一念多念証文の意)。
さればこの如来に南無し帰命したてまつれば、摂取不捨のゆえに真実報土の往生をとぐべきものなり。
「法蔵菩薩因位時
在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因
国土人天之善悪」というは、世自在王仏ともうすは、弥陀如来のむかしの師匠の御ことなり。
しかればこの仏のみもとにして、二百一十億の諸仏の浄土のなかの善悪を覩見しましまして、そのなかにわろきをばえらびすて、よきをばえらびとりたまいて、わが浄土としましますといえるこころなり。
「建立無上殊勝願
超発希有大弘誓」というは、諸仏の浄土をえらびとりて、西方極楽の殊勝の浄土を建立したまうがゆえに、超世希有の大願ともなづけ、また横超の大誓願とももうすなり。
「五劫思惟之摂受」というは、まず一劫というは、たかさ四十里ひろさ四十里の石を、天人羽衣をもって、そのおもさ、ぜにひとつの四つの字を一つのけて、三つの字のおもさなるをきて、三年に一度くだりて、この石をなでつくせるを一劫というなり。
これをいつつなでつくすほど、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘ともうせしとき、思惟してやすきみのりをあらわして、十悪五逆の罪人・五障三従の女人をも、もらさずみなみちびきて、浄土に往生せしめんとちかいましましけり。
「重誓名声聞十方」というは、弥陀如来、仏道をなりましまさんに、名声十方にきこえざるところあらば、正覚をならじとちかいましますといえるこころなり。
「普放無量無辺光」というより「超日月光」というにいたるまでは、これ十二光仏の一々の御名なり。
「無量光仏」というは、利益の長遠なることをあらわす、過現未来にわたりて限量なし、かずとしてさらにひとしきかずなきがゆえなり。
「無辺光仏」というは、照用の広大なる徳をあらわす、十方世界をつくしてさらに辺際なし、縁としててらさずということなきがゆえなり。
「無碍光仏」というは、神光の障碍なき相をあらわす、人法としてよくさうることなきがゆえなり。
碍において内外の二障あり。
外障というは山河大地雲霧煙霞等なり。
内障というは、貪瞋痴慢等なり。
「光雲無碍如虚空」(讃弥陀偈)の徳あれば、よろずの外障にさえられず、「諸邪業繫無能碍者」(定善義)のちからあれば、もろもろの内障にさえられず、かるがゆえに天親菩薩は、「尽十方無碍光如来」(願生偈)とほめたまえり。
「無対光仏」というは、ひかりとしてこれに相対すべきものなし、もろもろの菩薩のおよぶところにあらざるがゆえなり。
「炎王光仏」というは、または「光炎王仏」と号す。
光明自在にして、無上なるがゆえなり。
『大経』に「猶如火王 焼滅一切煩悩薪故」ととけるは、このひかりの徳を嘆ずるなり。
火をもってたきぎをやくにつくさずということなきがごとく、光明の智慧をもって煩悩のたきぎをやくに、さらに滅せずということなし。
三途黒闇の衆生も光照をこうぶり解脱をうるは、このひかりの益なり。
「清浄光仏」というは、無貪の善根より生ず、かるがゆえにこのひかりをもって衆生の貪欲を治するなり。
「歓喜光仏」というは、無瞋の善根より生ず、かるがゆえにこのひかりをもって衆生の瞋恚を滅するなり。
「智慧光仏」というは、無痴の善根より生ず、かるがゆえにこのひかりをもって無明の闇を破するなり。
「不断光仏」というは、一切のときに、ときとして、てらさずということなし、三世常恒にして照益をなすがゆえなり。
「難思光仏」というは、神光相をはなれてなづくべきところなし、はるかに言語の境界をこえたるがゆえなり。
こころをもってはかるべからざれば、「難思光仏」といい、ことばをもってとくべからざれば、「無称光仏」と号す。
『無量寿如来会』には、「難思光仏」をば「不可思議光」となづけ、「無称光仏」をば「不可称量光」といえり。
「超日月光仏」というは、日月はただ四天下をてらして、かみ上天におよばず、しも地獄にいたらず、仏光はあまねく八方上下をてらして、障碍するところなし、かるがゆえに日月にこえたり。
されば十二光をはなちて十方微塵世界をてらして衆生を利益したまうなり。
「一切群生蒙光照」というは、あらゆる衆生宿善あればみな光照の益にあずかりたてまつるといえる心なり。
「本願名号正定業」というは、第十七の願のこころなり。
十方の諸仏にわが名をほめられんとちかいましまして、すでにその願成就したまえるすがたは、すなわちいまの本願の名号の体なり。
これすなわち、われらが往生をとぐべき行体なりとしるべし。
「至心信楽願為因
成等覚証大涅槃
必至滅度願成就」というは、第十八の真実の信心をうれば、すなわち正定聚に住す、そのうえに等正覚にいたり大涅槃を証することは、第十一の願の必至滅度の願成就したまうがゆえなり。
これを平生業成とはもうすなり。
されば正定聚というは、不退のくらいなり、これはこの土の益なり、滅度というは涅槃のくらいなり、これはかの土の益なりとしるべし。
『和讃』にいわく、
「願土にいたればすみやかに
無上涅槃を証してぞ
すなわち大悲をおこすなり
これを回向となづけたり」といえり。
これをもってこころうべし。
お釈迦さま
「如来所以興出世
唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海
応信如来如実言」というは、釈尊出世の元意は、ただ弥陀の本願をときましまさんがために、世にいでたまえり。
五濁悪世界の衆生、一向に弥陀の本願を信じたてまつれ、といえるこころなり。
「能発一念喜愛心」というは、一念歓喜の信心を申すなり。
「不断煩悩得涅槃」というは、不思議の願力なるがゆえに、わが身には煩悩を断ぜざれども、仏のかたよりはついに涅槃にいたるべき分にさだめましますものなり。
「凡聖逆謗斉回入
如衆水入海一味」というは、凡夫も聖人も五逆も謗法も、ひとしく大海に回入すれば、もろもろのみずの、うみにいりて一味なるがごとし、といえるこころなり。
「摂取心光常照護
已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧
常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧
雲霧之下明無闇」というは、弥陀如来、念仏の衆生を摂取したまうひかりは、つねにてらしたまいて、すでによく無明の闇を破すといえども、貪欲と瞋恚と、くもきりのごとくして、真実信心の天におおえること、日光のあきらかなるを、くもきりのおおうによりてかくすといえども、そのしたはあきらかなるがごとしといえり。
「獲信見敬大慶喜」というは、法をききてわすれず、おおきによろこぶひとを、釈尊は「わがよき親友なり」(大経)とのたまえり。
「即横超絶五悪趣」というは、一念慶喜の心おこりぬれば、すなわちよこさまに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のきずなをきる、というこころなり。
「一切善悪凡夫人
聞信如来弘誓願
仏言広大勝解者
是人名分陀利華」というは、一切の善人も悪人も如来の本願を聞信すれば、釈尊はこのひとを「広大勝解のひと」(如来会)なりといい、また「分陀利華」(観経)にたとえ、あるいは「上上人」なりといい、「希有人」なりとほめたまえり。
「弥陀仏本願念仏
邪見憍慢悪衆生
信楽受持甚以難
難中之難無過斯」というは、弥陀如来の本願の念仏をば、邪見のものと憍慢のものと悪人とは、真実に信楽したてまつること、かたきがなかにかたきことこれにすぎたるはなしと、いえるこころなり。
七高僧
「印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機」というは、印度西天というは、天竺のことなり、中夏というは唐土なり、日域というは日本のことなり。
かの三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐はただ弥陀の本願をあまねくときあらわして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますなり。
龍樹菩薩
「釈迦如来楞伽山
為衆告命南天竺
龍樹大士出於世
悉能摧破有無見
宣説大乗無上法
証歓喜地生安楽」というは、この龍樹菩薩は(八宗の祖師、千部の論師なり。)
釈尊の滅後五百余歳に出世したまう。
釈尊これをかねてしろしめして、『楞伽経』にときたまわく、「南天竺国に龍樹菩薩という比丘あるべし、よく有無の邪見を破して、大乗無上の法をときて、歓喜地を証して、安楽に往生すべし」と、未来記したまえり。
「顕示難行陸路苦
信楽易行水道楽」というは、かの龍樹の『十住毘婆娑論』(易行品)に念仏をほめたまうに、二種の道をたてたまうに、ひとつには難行道、ふたつには易行道なり。
その難行道の修しがたきことをたとうるに、陸路のみちをあゆぶがごとしといえり。
易行道の修しやすきことをたとうるに、みずのうえをふねにのりてゆくがごとしといえり。
「憶念弥陀仏本願
自然即時入必定」というは、本願力の不思議を憶念する人は、おのずから必定にいるべきものなり、といえる心なり。
「唯能常称如来号
応報大悲弘誓恩」というは、真実の信心を獲得せん人は、行住座臥に名号をとなえて、大悲弘誓の恩徳を報じたてまつれ、といえる心なり。
天親菩薩
「天親菩薩造論説
帰命無碍光如来」というは、この天親菩薩も龍樹とおなじく千部の論師なり。
仏滅後九百年にあたりて出世したまう。
『浄土論』一巻をつくりて、あきらかに三経の大意をのべ、もっぱら無碍光如来に帰命したてまつりたまえり。
「依修多羅顕真実
光闡横超大誓願
広由本願力回向
為度群生彰一心」というは、この菩薩、大乗経によりて真実をあらわす、その真実というは念仏なり。
横超の大誓願をひらきて、本願の回向によりて群生を済度せんがために、論主も一心に無碍光に帰命し、おなじく衆生も一心にかの如来に帰命せよ、とすすめたまえり。
「帰入功徳大宝海
必獲入大会衆数」というは、大宝海というは、よろずの衆生をきらわず、さわりなくへだてずみちびきたまうを、大海のみずのへだてなきにたとえたり。
この功徳の宝海に帰入すれば、かならず大会の数にいるべきにさだまるとなり、といえり。
「得至蓮華蔵世界
即証真如法性身」というは、華蔵世界というは、安養世界のことなり。
かの土にいたりなば、すみやかに真如法性の身をうべきものなり、といえる心なり。
「遊煩悩林現神通
入生死園示応化」というは、これは還相回向のこころなり、弥陀の浄土にいたりなば、娑婆世界にもまたたちかえり、神通自在をもってこころにまかせて、衆生をも利益せしむべしといえる心なり。
曇鸞大師
「本師曇鸞梁天子
常向鸞処菩薩礼」というは、曇鸞大師はもとは四論宗のひとなり。
四論というは、三論に『智論』をくわうるなり。
三論というは、一つには『中論』、二つには『百論』、三つには『十二門論』なり。
和尚はこの四論に通達しましましけり。
これによりて梁国の天子蕭王は御信仰ありて、おわせしかたにつねにむかいて、曇鸞菩薩とぞ礼しましましけり。
「三蔵流支授浄教
焚焼仙経帰楽邦」というは、かの曇鸞大師、はじめは四論宗にておわせしが、仏法のそこをならいきわめたりというとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならんとて、陶隠居というひとにおうて、まず長生不死の法をならいぬ。
すでに三年のあいだ仙人のところにしてならいえてかえりたまうに、そのみちにて菩提流支ともうす三蔵にゆきあいてのたまわく、「仏法のなかに長生不死の法は、この仙経にすぐれたる法やある」とといたまえば、三蔵、地につばきをはきていわく、「この方にはいずくのところにか長生不死の法あらん、たとい長年をえてしばらく死せずとも、ついに三有に輪回すべし」といいて、すなわち浄土の『観無量寿経』をさずけていわく、「これこそまことの長生不死の法なり、これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれてはかりなき命をうべし」とのたまえば、曇鸞これをうけとりて、仙経十巻をたちまちにやきすて、一向に浄土に帰したまいけり。
「天親菩薩論註解
報土因果顕誓願」というは、かの鸞師、天親菩薩の『浄土論』に『註解』というふみをつくりて、くわしく極楽の因果一々の誓願をあらわしたまえり。
「往還回向由他力
正定之因唯信心」というは、往相還相の二種の回向は、凡夫としてはさらにおこさざるものなり、ことごとく如来の他力よりおこさしめられたり。
正定の因は信心をおこさしむるによれるものなりといえり。
「惑染凡夫信心発
証知生死即涅槃」というは、一念の信おこりぬれば、いかなる惑染の機なりというとも、不可思議の法なるがゆえに、生死すなわち涅槃なり、といえるこころなり。
「必至無量光明土
諸有衆生皆普化」というは、聖人弥陀の真土をさだめたまうとき、「仏は不可思議光なり、土はまた無量光明土なり」といえり。
かの土にいたりなばまた穢土にたちかえり、あらゆる有情を化すべし、となり。
道綽禅師
「道綽決聖道難証
唯明浄土可通入」というは、この道綽はもとは涅槃宗の覚者なり。
曇鸞和尚の面授の弟子にあらず、その時代一百余歳をへだてたり。
しかれども并州玄中寺にして曇鸞の碑の文をみて、浄土に帰したまいしゆえに、かの弟子たり。
これまたついに涅槃の広業をさしおきて、ひとえに西方の行をひろめたまいき。
されば聖道は難行なり、浄土は易行なるがゆえに、ただ当今の凡夫は、浄土の一門のみ通入すべきみちなりとおしえたまえり。
「万善自力貶勤修
円満徳号勧専称」というは、万善は自力の行なるがゆえに、末代の機には修行することかないがたしといえり。
円満の徳号は他力の行なるがゆえに、末代の機には相応せりといえるこころなり。
「三不三信誨慇懃
像末法滅同悲引」というは、道綽、『安楽集』に三不三信ということを釈したまえり。
「一者信心不淳
若存若亡故
二者信心不一
謂無決定故
三者信心不相続
謂余念間故」といえり。
かくのごとくねんごろにおしえたまいて、像法末法の衆生をおなじくあわれみましましけり。
「一生造悪値弘誓
至安養界証妙果」というは、弥陀の弘誓にもうあいたてまつるによりて、一生悪をつくる機も本願の不思議によりて安養界にいたりぬれば、すみやかに無上の妙果を証すべきものなり。
善導大師
「善導独明仏正意
矜哀定散与逆悪」というは、浄土門の祖師そのかずこれおおしといえども、善導にかぎりひとり仏証をこうて、あやまりなく仏の正意をあかしたまえり。
定善の機、散善の機、五逆の機をも、もらさずあわれみたまいけり、という心なり。
「光明名号顕因縁」というは、弥陀如来の四十八願のなかに第十二の願は、わがひかりきわなからんとちかいたまえり、これすなわち念仏の衆生を摂取のためなり。
かの願すでに成就して、あまねく無碍のひかりをもって十方微塵世界をてらしたまいて、衆生の煩悩悪業を長時にてらしまします。
さればこのひかりの縁にあう衆生、ようやく無明の昏闇うすくなりて、宿善のたねきざすとき、まさしく報土にうまるべき第十八の念仏往生の願因の名号をきくなり。
しかれば名号執持することさらに自力にあらず、ひとえに光明にもよおさるるによりてなり、このゆえに光明の縁にきざされて、名号の因はあらわるるというこころなり。
「開入本願大智海
行者正受金剛心」というは、本願の大海にいりぬれば、真実の金剛心をうけしむ、というこころなり。
「慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍
即証法性之常楽」というは、一心念仏の行者、一念慶喜の信心さだまりぬれば、韋提希夫人とひとしく、喜悟信の三忍をうべきなり。
喜悟信の三忍というは、一つには喜忍という、これ信心歓喜の得益をあらわすこころなり、二つには悟忍という、仏智をさとるこころなり、三つには信忍というは、すなわちこれ信心成就のすがたなり。
しかれば、韋提はこの三忍益をえたまえるなり。
これによりて真実信心を具足せんひとは、韋提希夫人にひとしく三忍をえて、すなわち法性の常楽を証すべきものなり。
源信僧都
「源信広開一代教
偏帰安養勧一切」というは、楞厳の和尚はひろく釈迦一代の教をひらきて、もっぱら念仏をえらんで、一切衆生をして西方の往生をすすめしめたまうなり。
「専雑執心判浅深
報化二土正弁立」というは、雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり、また専修正行になりきわまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべしとなり。
これすなわち、専雑二修の浅深を判じたまえるこころなり。
『讃』にいわく、「報の浄土の往生はおおからずとぞあらわせる
化土にうまるる衆生をば
すくなからずとおしえたり」といえるこころなり。
「極重悪人唯称仏」というは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることをえよ、といえる文のこころなり。
「我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照我」というは、真実信心をえたる人は、身は娑婆にあれども、かの摂取の光明のなかにあり。
しかれども煩悩まなこをさえて、おがみたてまつらずといえども、弥陀如来はものうきことなくして、つねにわが身をてらしまします、といえるこころなり。
法然上人
「本師源空明仏教
憐愍善悪凡夫人」というは、日本には念仏の祖師そのかずこれおおしといえども、法然聖人のごとく、一天にあまねくあおがれたまう人はなきなり。
これすなわち仏教にあきらかなりしゆえなり。
これによりてあるいは弥陀の化身といい、また勢至の来現といい、また善導の再誕ともいえり。
かかる明師にてましますがゆえに、われら善悪の凡夫人をあわれみたまいて、浄土にすすめいれしめたまいけるものなり。
「真宗教証興片州
選択本願弘悪世」というは、かの聖人我朝にはじめて浄土宗をたてたまいて、また『選択集』というふみをつくりましまして、悪世にあまねくひろめたまえり。
「還来生死輪転家
決以疑情為所止
速入寂静無為楽
必以信心為能入」というは、生死輪転のいえというは、六道輪回のことなり。
このふるさとへかえることは、疑情のあるによりてなり。
また寂静無為の浄土へいたることは、信心のあるによりてなり。
されば『選択集』にいわく、「生死のいえにはうたがいをもって所止とし、涅槃のみやこには信をもって能入とす」といえるはこのこころなり。
まとめ
「弘経大士宗師等
拯済無辺極濁悪
道俗時衆共同心
唯可信斯高僧説」というは、弘経大士というは、天竺震旦我朝の菩薩祖師達のことなり。
かの人師等、未来の極濁悪のわれらをあわれみすくいたまわんとて、出生したまえり。
しかれば念仏の道俗等あまねくかの三国の高祖の説を信じたてまつるとなり。
さればわれらが真実の報土の往生をおしえたまうこと、しかしながらこの祖師等の御恩にあらずということなし。
よくよくその恩徳を報謝したてまつるべきものなり。
奥書
奥書、
右この『正信偈大意』は、金森の道西、自身才学にそなえんがために、蓮々そののぞみこれありといえども、予いささかその料簡なき間、かたく斟酌をくわうるところしきりに所望のむねさりがたきによりて、文言のいやしきをかえりみず、また義理の次第をもいわず、ただ願主の命にまかせて、ことばをやわらげ、これをしるしあたう。
その所望あるあいだ、かくのごとくこれをしるすところなり。
あえて外見あるべからざるものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
于時長禄四歳六月日
元禄三庚午年孟夏吉辰