本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦

原文 書き下し文
本師曇鸞梁天子 (本師曇鸞は梁の天子)
常向鸞処菩薩礼 (常に鸞の処に向いて
「菩薩」と礼したまえり。)
三蔵流支授浄教 (三蔵流支、浄教を授けしかば)
焚焼仙経帰楽邦 (仙経を焚焼して
楽邦に帰したまいき。)

目次

  1. 曇鸞大師とは?
  2. 梁の天子も。
  3. どうしてそんな偉い方になられたのか?
  4. 菩提流支とばったり出会って……

曇鸞大師とは?

本師曇鸞梁天子
常向鸞処菩薩礼
三蔵流支授浄教
焚焼仙経帰楽邦

これは、
本師曇鸞は梁の天子、常に鸞の処に向いて「菩薩」と礼したまえり。
三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき

と読みます。

本師曇鸞とは、約1400年前、中国にあらわれた、曇鸞大師のことです。

親鸞聖人は、七高僧の3番目にあげられ、曇鸞大師に対する敬慕の気持ちは大変なものがあります。

まず、親鸞聖人の「親鸞」というお名前は、
天親菩薩の「」と、曇鸞大師の「」をもらわれたものです。

また、曇鸞大師を「本師」といわれていますが、「本師」と言われているのは、正信偈の中でもう一人、直接の先生である法然上人だけです。

そのうえ、親鸞聖人は沢山の和讃を作っておられますが、七高僧の中では、曇鸞大師が一番多く、34首あります

このように、親鸞聖人は、曇鸞大師を大変尊敬しておられました。

梁の天子も。

次に、「梁の天子」とは、梁の蕭王(しょうおう)のことです。
親鸞聖人はご和讃に次のようにおっしゃっています。

本師曇鸞大師をば 粱の天子蕭王は
おわせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ礼しける

その梁の天子は、朝晩、曇鸞大師のおられる方角に向かって、礼拝した

常向鸞処菩薩礼

常に」とは、たまにではありません。常にです。
」とは曇鸞大師です。

一国の王様が、朝晩、曇鸞大師の方角に向かって、本当は大師なのですが、ただ人ではない、菩薩だと手を合わせて拝まれた。

いかに曇鸞大師が偉い方であり、徳の高い方であったかということです。

しかし、それは阿弥陀仏に救われてからのことで、曇鸞大師も、最初から、そんな偉い方ではなかったのです。

どうしてそんな偉い方になられたのか?

曇鸞大師は、もともとどんな方であったのかというと、四論宗の学者でした。

四論宗とはどんな宗派かというと、七高僧の最初にあげられる龍樹菩薩の、中論、十二門論、大智度論などを宗とする宗派です。

その四論宗の学者であった曇鸞大師は、あるとき病気になりました。

この病というのが、人を迷わせます
軽い病気ならそうでもありませんが、重い病気になると、死んでしまうのではないかと不安になります。
そして藁にもすがる気持ちにさせるのです。

曇鸞大師は、
仏教を学んでいても、死んでしまったら終わりではないか。まず長生きしなければならない
と、不老長寿の教えを学ぼうと思い立ちます。

中国では、そういうことを教える人を仙人といいます。
曇鸞大師は、当時一番有名な陶隠居という仙人のもとへ弟子入りして、仏教を捨てて、三年間修行しました。
そして免許皆伝を受けて、10冊の仙経をもらって意気揚々と帰ってきます。

その時、仏教を学んでいた時の友達の、菩提流支(ぼだいるし)とばったり出会ったのです。

菩提流支とばったり出会って……

三蔵流支授浄教
焚焼仙経帰楽邦

正信偈では、菩提流支のことを「三蔵流支」と書かれています。

本名は「菩提流支」なのに、なぜ三蔵流支と書かれているのでしょうか。

三蔵」とは、経、律、論の3つです。

とは、お釈迦さまの教えを書き残されたもの。
とは、お釈迦さまの説かれた戒律
とは、お釈迦さまのお言葉を、龍樹菩薩や天親菩薩などの菩薩が解釈されたものです。

これらを三蔵といいます。

ところが、これらはインドの言葉で書かれています。

お釈迦さまは、インドの方ですから、経も律もインドの言葉で書かれています。
龍樹菩薩、天親菩薩もインドの方ですから、論もインドの言葉で書かれています。

私たちが今読んでいるお経は、中国語に翻訳されたものです。
ですから、インドの言葉を中国の言葉に翻訳した、翻訳者を「三蔵」といいます

三蔵」には、鳩摩羅什や康僧鎧、玄奘三蔵など、有名な人が沢山あります。
そんな翻訳者の一人で、菩提流支という人がありました。

曇鸞大師は、その菩提流支とばったり出会って、
おい今すごいものを手に入れてきたぞ」と仙経を得意になって見せました。

それを聞いた、菩提流支は、
お前は、仏教をそんな程度に思っていたのか。100年や200年長生きしても、最後は必ず死ぬではないか。

仏教に、そんな長生きする教えがあるのか?
その時、菩提流支から手渡されたのが、「観無量寿経」でありました。

観無量寿経とは、無量寿を観る、無量寿になる教えということです。

これを正信偈には、浄教を授けしかばとあります。
その時、曇鸞大師は、「仏教にそんな教えがあったのか」と
その場に崩れ落ちてしまいました。

そして、菩提流支の目の前で、たった今もらってきた仙経10巻を焼き捨てた、焚焼したと言われます。

そして、楽邦に帰する
楽邦」とは、阿弥陀仏のことです。
楽邦に帰する」とは、 阿弥陀仏の救いにあったということです。

曇鸞大師がすごいのは、間違いだと分かるや、3年間もかけてもらってきた仙経をすぐに焼き捨てた。なかなかできることではありません。

親鸞聖人もそうですが、誰でもそうやって導いて下された方があったということです。

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