本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 選択本願弘悪世
原文 | 書き下し文 |
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本師源空明仏教 | (本師源空は仏教に明らかにして) |
憐愍善悪凡夫人 | (善・悪の凡夫人を憐愍し) |
真宗教証興片州 | (真宗の教・証を片州に興し) |
選択本願弘悪世 | (選択本願を悪世に弘めたまう) |
目次
本師源空は仏教に明らかにして
本師源空明仏教とは、
「本師源空は仏教に明らかにして」
と読みます。
「源空」とは、法然上人のことです。
「本師」は、正信偈で親鸞聖人は、七高僧の中、源空上人と、曇鸞大師につけておられます。
それは源空、法然上人が、親鸞聖人にとっては、生きた善知識ということです。
法然上人は、当時、各宗派が連携して、大原に出てくるようにと、果たし状を突きつけられました。
すると法然上人は、身の回りの世話のための少数のお弟子だけ引き連れて、日本のトップレベルの学者、380余人、有象無象も合わせれば、2000人の待ち受ける大原に出向かれました。
そこで法然上人は、歴史的な大法論である大原問答をせられ、各宗の学者をたった一人で打ち破られ、意気揚々と引き上げて行かれました。
仏教史上、そんな法論はありませんでしたので、法然上人は、「智慧第一の法然房」とか「勢至菩薩の化身」と言われ、当時、日本一の仏教の大学者でした。
また、法然上人の書かれた『選択本願念仏集』は、当時の仏教界に大変な衝撃を与えています。
そんなことから、親鸞聖人は、
「私の先生は、非常にに仏教に明るかった」「大学者であった」と称讃されているのが、
「本師源空は仏教に明らかにして」
ということです。
善・悪の凡夫人を憐愍し
次に「善悪の凡夫人」とは、
それまでの仏教は、すべてを捨てて山に入れる、ごく一部の者だけしか助からないという、一般の人とは無縁の教えのように思われていました。
ところが法然上人は、一部の人だけ救いの対象なら、本当の仏教でないと、「山上の仏教」を山から下ろして、普通の庶民でも、ありのままの姿で救われるのが真の仏教であることを明らかにされました。
それで親鸞聖人は、
「善悪の凡夫人を憐愍して」
と、その法然上人の功績をたたえておられるのです。
真宗の教・証を片州に興し
次に、「真宗の教・証を片州に興し」とは、
「片州」とは、日本のことです。
「真宗」とは、真実の教えであり、
「教」とは教え、
「証」とは救いのことです。
真実の教えとは阿弥陀仏の本願ですから、阿弥陀仏の本願を日本に広められたということです。
選択本願を悪世に弘めたまう
次の、「選択本願を悪世に弘めたもう」
といわれている「選択本願」も、「阿弥陀仏の本願」のことです。
今日のような、親が子を殺し、子が親を殺す。
苦しみ悩んでいる人の世は、みな「悪世」ですから、
「法然上人は、苦しみ悩みの充満する悪世の日本に、弥陀の本願を徹底して開顕してくだされたなればこそ、この親鸞、今こんな幸せな身に救い摂られることができたのだ」
と、法然上人の御恩に感泣なされているお言葉が、
本師源空は仏教に明らかにして
善・悪の凡夫人を憐愍し
真宗の教・証を片州に興し
選択本願を悪世に弘めたまう
という『正信偈』のお言葉です。