正信偈の全体像・構成
『正信偈』はどんな構成になっているのでしょうか。
冒頭・親鸞聖人の喜び
まず親鸞聖人は『正信偈』の最初にこう言われています。
これは
「親鸞は阿弥陀仏に救われたぞ、
親鸞は阿弥陀仏に助けられたぞ」
ということです。
阿弥陀仏は、
「どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に」
というお約束をしておられます。
これを「阿弥陀仏の本願」といいます。
その阿弥陀仏のお約束の通り、29歳で絶対の幸福に救い摂られた親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願に救われたと『正信偈』の冒頭に言われているのです。
そして、絶対の幸福に救われたのは、まったく阿弥陀仏のお力であったと、阿弥陀如来の高恩と、阿弥陀仏の本願を伝えてくだされた釈迦はじめインド中国日本の師主知識の恩徳をこの後に、讃嘆しておられます。
阿弥陀如来のご恩
まず、
からは阿弥陀仏についてです。
阿弥陀仏とその絶大なお力を讃嘆しておられます。
お釈迦さまのご恩
そして、
からは、お釈迦さまのことです。
どんな尊い阿弥陀仏の本願があっても、お釈迦さまが教えられなければ、親鸞知ることもできなければ、救われることもなかった。
お釈迦さまおられたなればこそと喜んでおられます。
七高僧のご恩
その後、
からは、インド、中国、日本の七高僧です。
お釈迦さまから、七高僧が、親鸞のところまで伝えてくだされなければ、この身に救われることはなかった。
だから忘れることができないんだ、と讃嘆しておられます。
お釈迦さまの後、
からは、七高僧の1番目、インドの龍樹菩薩についてです。
次に七高僧の2番目、天親菩薩です。
その後、仏教は、インドから中国に伝えられて、七高僧の3番目は中国の曇鸞大師です。
七高僧の4番目は道綽禅師です。
七高僧の5番目は善導大師です。
そして仏教は、中国から日本へ伝えられて七高僧の6番目は、源信僧都です。
それから七高僧の7番目は、親鸞聖人の直接の先生である法然上人です。
「源空」とは、法然上人のことです。
これらの方がおられなければ、親鸞救われることはなかったんだと喜んでおられます。
最後・正信偈の目的
そして『正信偈』の最後に
すべての人に、親鸞と同じ心になってもらいたいと言われています。
「同じ心」とは阿弥陀仏の本願に救われて、いつ死んでも極楽往き間違いなしとハッキリした絶対の幸福のことです。
その絶対の幸福に救われるには、これらの高僧の教えを信ずる一つだと教えられています。
信ずるとは、仏教では「聞即信」と言われて、聞くことと信ずることは同じことです。
ですから、阿弥陀仏の本願を聞く一つで絶対の幸福の身に救われるんだということです。
ですから「仏法は聴聞に極まる」。
一日もはやく仏法を聞いて、絶対の幸福の身に救われなさい、と『正信偈』を結ばれているのです。