五劫思惟之摂受
原文 | 書き下し文 |
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五劫思惟之摂受 | (五劫に之を思惟して摂受したまう) |
目次
これは「五劫に之を思惟して摂受したまう」と読みます。
「之を」といいますのは、
この前の、「無上殊勝の願」「希有の大弘誓」
のことをおっしゃっています。
この前は、
「無上殊勝の願」を建立せられた。
「希有の大弘誓」を超発せられた。
建立無上殊勝願
超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受
阿弥陀仏が本願を建立せられた
「無上殊勝の願を建立せられた」
「希有の大弘誓を超発せられた」
「無上殊勝の願」も
「希有の大弘誓」も同じ意味で、
阿弥陀仏の本願のことです。
阿弥陀仏は、
どんな人をも必ず助ける 絶対の幸福に
とお約束されています。
「無上」とは沢山の仏様の立てられた本願の中でも、最高なんだということです。
殊にすぐれているということで、殊勝とおっしゃっています。
希有とは、二つとない
大とは、絶対変わらないということです。
この二行は同じ意味で、
大宇宙の仏方の王である阿弥陀如来が、
大宇宙最高の本願を建てられた
ということです。
五劫に之を思惟し摂受したまう
次に、五劫思惟とは、
五劫とは、気の遠くなるような長い期間をいいます。
一劫は4億3200万年ですから、その5倍です。
その阿弥陀仏の本願を、五劫の間思惟せられたということです。
思惟とは、思案された、考えられたということです。
どうすれば、十方諸仏に見捨てられた私たちを助けることができるかということで考えられた。
五劫の間考えられたのは、いくらその約束が無上であり、希有のものであっても、実際自分のできない事を約束しては、みんなを救うことはできないから。
間違いなく実行できるということを、五劫の間考えられた。確認なされた。
だから空手形ではありません。
弥陀の誓いというのは、決して
「できるやらできないやらわからないもの」ではないんだ。
「この通り果たせる」ということを確認せられた本願だ。
と親鸞聖人がおっしゃっているのが、
五劫思惟之摂受
「五劫に之を思惟して摂受したまう」
というお言葉です。