依修多羅顕真実 光闡横超大誓願

原文 書き下し文
依修多羅顕真実 (修多羅に依りて真実を顕し)
光闡横超大誓願 (横超の大誓願を光闡する)

目次

  1. 救われた体験といっても色々あるのでは?
  2. 真実の救いの基準は?
  3. そして天親菩薩は?
  4. 阿弥陀仏の本願とは?

救われた体験といっても色々あるのでは?

この前の行の「帰命無礙光如来」とは、天親菩薩が、『浄土論』に、
この天親は、阿弥陀如来に救われました」と言われたのを、親鸞聖人が引用されたお言葉です。

これは、天親菩薩の体験ですが、世間にも、よく「私は救われました、幸せになりました」と色々な体験談を話す人があります。

しかし仏教では、どんな体験も経典と合致しなければ、何の価値もありません。

教えに一致しなければ真実ではありませんし、本当に阿弥陀仏に救われた、とはいえませんから、真実の救いとは全く異なります。

ではどうすれば、真実の救いかどうか分かるのでしょうか?

真実の救いの基準は?

それで次に親鸞聖人は、
依修多羅顕真実
天親菩薩は、「修多羅」によりて、真実であることを明らかにされた、とおっしゃっています。

修多羅」とは、お釈迦様の一切経のことです。
お釈迦様が35才で仏という最高の悟りを開かれて、80才でお亡くなりになるまでの45年間説かれた教えを仏教といいます。

そのお釈迦様が説かれた教えを書き残されたものが一切経です。

その一切経を「修多羅」とも言われます。

真実を顕わし」とは、真実を明らかにされたということですから、修多羅に依りて真実を顕しというのは、教えによって、真実の体験を明らかにされた、ということです。

体験と言っても、色々ありますから、教えに合った体験かどうかが大切だということです。

天親菩薩は常に、教えを基準として真実を明らかにされたので、親鸞聖人はほめたたえておられるのです。

天親菩薩はそして、どうされたのでしょうか?

そして天親菩薩は

次に親鸞聖人がおっしゃっている、
光闡横超大誓願」とは、横超の大誓願を光闡された、ということです。

光闡」とは、明らかに説き広めるということですから、天親菩薩は、横超の大誓願を明らかに説き広められたという事です。

横超の大誓願」とは、
横超」とは他力のことです。
親鸞聖人は

「他力」と言うは如来の本願力なり。
(親鸞聖人『教行信証』)

仏教で『他力』とは、阿弥陀如来の本願力を言うのである
と教えられていますように、
他力といっても、他人の力や天地自然の力ではなく、阿弥陀仏の本願力だけを「他力」といいます。

大誓願」とは、すばらしい誓いという事です。
この「」は、小さいものに対して大きい、ということではありません。
素晴らしいということです。

誓願」とは、誓い、約束ということで、阿弥陀仏の本願のことです。

では、阿弥陀仏の本願とはどんなお約束なのでしょうか?

阿弥陀仏の本願とは?

阿弥陀仏は、
我を信じよ、必ず一念で51段高飛びさせて、正定聚の身にしてみせる。そしてわが浄土に生まれさせる
というお約束をしておられます。

正定聚」とは、まさしく仏になるに定まった人たちということで、死んだら仏になるに定まった位です。

そんな正定聚に一念で高飛びさせてみせる、というすごいお約束は、他の仏にはとてもできない約束ですから、「大誓願」とおっしゃっているのです。

天親菩薩はこのように、阿弥陀仏の本願に救われて、生涯、弥陀の本願一つを明らかにされたということです。

その天親菩薩のご苦労があったなればこそ、親鸞、阿弥陀仏の本願に救われる事ができたのだと、天親菩薩の功績をたたえておられる『正信偈』のお言葉です。

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