善導独明仏正意
原文 | 書き下し文 |
---|---|
善導独明仏正意 | (善導独り、仏の正意を明らかにし) |
目次
善導独り、仏の正意を明らかにして
「善導独明仏正意」は
「善導独り、仏の正意を明らかにして」
と読みます。
「善導」とは、善導大師のことです。
「仏の正意」とは、仏様の正しい御意のことですから、
「善導独り、仏の正意を明らかにして」とは、
親鸞聖人が、
「善導大師ただ独り、仏様の正しい御意を明らかにして下された。
そのおかげで親鸞、弥陀に救い摂られることができたのだ」
と、一段と声を大きくして、善導大師を褒め称えておられるお言葉です。
善導大師とは?
善導大師は、約1300年前の中国の唐という時代の方です。
大変まじめで、30年間、一度も布団を敷いて休まれることなく、仏教の勉学に励まれたと言われます。
修行の妨げにならないようにと、道で女性とすれ違う時は笠で顔をかくされた、とも言われます。
このような善導大師を親鸞聖人は
「大心海化現の善導」と言われて
極楽浄土から仏さまが人間として現れられた方だ、と尊敬しておられます。
中国の唐の時代とは?
善導大師の活躍された唐の時代は、中国の歴史上、最も仏教が栄えた時代でした。
時の天子も仏教を信奉して、仏教を保護しておりましたので、沢山の寺が建てられ、多くの人が仏法に帰依しました。
中国の天台宗を開いた天台、
地論宗の浄影、
三論宗の嘉祥といった
一宗一派を開いたような者が続出し、その弟子の僧侶たちも何十万とあった時代でした。
天台─天台宗
浄影─地論宗
嘉祥─三論宗
それなら「仏の正意」に明らかな人はたくさんあったのではないでしょうか?
実際、それぞれ明らかだったと思われていました。
ところが親鸞聖人は、その何十万の僧の中で、善導大師ただお独りが、「仏の正意」に明らかであったと言われているのです。
これは親鸞聖人の単なる主観ではありません。
善導大師は、当時、たくさんの僧侶を相手として、天台・浄影・嘉祥らの誤りを打ち破られているのです。
仏の正意とは?
では「仏の正意」
仏様の本当の御意とは何かといいますと、
仏様とは、仏のさとりを開かれた方のことです。
一口にさとりと言いましても、低いさとりから高いさとりまで52の位があり、これをさとりの52位と言われます。
その最高のさとりの位を
「仏覚」とか「無上覚」と言われます。
この最高無上のさとりを開かれた方のみを、仏とか仏様といわれます。
この仏のさとりまで到達された方は、地球上ではお釈迦様以外にありませんから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と言われます。
そのお釈迦様が、80才でお亡くなりになるまで説いてゆかれた教えを、今日、仏教と言われます。
その教えのすべては、七千余巻の一切経となって書き残されています。
その一切経で、釈迦の説かれたことはただ一つ、「阿弥陀仏の本願」でありました。
「阿弥陀仏の本願」とは、大宇宙に無数にまします仏方の本師本仏・先生の仏である阿弥陀仏が、本当に願っておられる御意、ということです。
善導大師は、その阿弥陀仏の御意を、
「どんな極悪人でも、我を信じよ、必ず平生に救いきると、約束しておられるのだ」と、鮮明に教えてゆかれました。
何千何万の僧侶があっても、「仏の正意」をこのように明らかにされたのは、善導大師しかなかったので親鸞聖人は、その偉大な善導大師を、「善導独明仏正意」と朝夕、讃嘆されているのです。