願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国
原文 | 書き下し文 |
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願以此功徳 | (願わくばこの功徳を以て) |
平等施一切 | (平等に一切に施し) |
同発菩提心 | (同じく菩提心を発して) |
往生安楽国 | (安楽国に往生せん) |
目次
善知識方の願い
これは善導大師のお言葉です。
「願わくばこの功徳をもって」の
「願わくば」というのは善導大師の願いですが、どの善知識方も同じです。
この功徳によって、絶対の幸福に救い摂られた喜びから、「こう願わずにはおれないのだ」とおっしゃったお言葉です。
この功徳とは?
「この功徳」とは阿弥陀仏の本願であり、名号の大功徳のことです。
名号とは、本師本仏の阿弥陀仏が苦しみ悩む十方衆生、すべての人を必ず救うと誓われて成就された、南無阿弥陀仏の六字です。
仏教に説かれていることは、名号の功徳以外にありません。
名号の功徳一つを説かれた教えが仏教です。
お釈迦様は45年間、名号の功徳一つを説いてゆかれましたが、説き尽くすことはできなかったと言われています。
若し広説せば百千万劫にも窮め尽すこと能わじ。(『大無量寿経』)
もし「南無阿弥陀仏」の功徳をすべて説き尽くそうとすれば、何億年かかっても説き尽くすことはできないということです。
この名号の限りない功徳を、蓮如上人はこのように教えられています。
「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、
さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、
無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。
(『御文章』五帖)
「南無阿弥陀仏」といえば、わずか六字だから、そんなに凄い働きがあるとは誰も思えないだろう。
だがこの六字の名号の中には、
私たちを最高無上の絶対の幸福にする大変な働きがあるのだ。
その広くて大きなことは、天の際限のないようなものなのだ、ということです。
ですから蓮如上人は、
他力の信心を獲るというも、これしかしながら、
南無阿弥陀仏の六字のこころなり。
この故に一切の聖教というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を
信ぜしめんがためなり。
(『御文章』五帖)
と言われています。
「他力の信心を獲る」とは、
「南無阿弥陀仏」の大功徳を弥陀から賜ったことである。
これしか仏教の目的はないから、釈迦の一切経や、仏教を説かれた一切の書物の目的は、私たちに「南無阿弥陀仏」の大功徳を受け取らせ、絶対の幸福にする以外にはないのだ、ということです。
願わずにおれないこと
善導大師は南無阿弥陀仏を頂いて、絶対の幸福に救い摂られた喜びから、このように願わずにおれないのだと、
次に
「平等に一切に施し」
と言われています。
すべての人に、それは何の為に人間に生まれてきたのか、何の為に生きているのかわからず、次から次と苦しみばかりやってくる人生を終えて行く私たちに、この功徳を施したい。
阿弥陀仏の本願まことを伝えたい。
名号の功徳一つを説かれた仏法を伝えたいということです。
私たちへの呼びかけ
そして、同じく菩提心をおこしてもらいたい
この「菩提心」は求道心の意味ではなく、他力の信心のことです。
ですから、菩提心をおこしてもらいたいというのは、信心決定してもらいたいということです。
蓮如上人が御遺言に
「みなみな信心決定あれかし」と言われているのと同じです。
この世で阿弥陀仏の本願に救われて、
いつ死んでも極楽参り間違いなし、
人間に生まれてよかったという生命の大歓喜を味わってもらいたい、
絶対の幸福の身になってもらいたい
ということです。
そして最後に「安楽国に往生せん」と、とおっしゃっています。
「安楽国」とは阿弥陀仏の極楽浄土のことです。
この善導と同じく信心決定して、共に、阿弥陀仏の極楽浄土へ参らせてもらいましょう。
と私たちに呼びかけてくださっておられます。
すべての人よ、どうか一日も早く、阿弥陀仏の本願を聞いて、信心決定してもらいたい。
そしてこの善導と共に、弥陀の浄土へ往生させて頂きましょう、といわれているお言葉です。